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べき乗則の話について

最近,「歴史は「べき乗則」で動く」という本を読んだ.amazonのURI

この本では,世の中の多くの減少における確率分布がべき乗則に従っており,その背景にはフラクタル構造のような再帰的な枠組みが隠されているのだということを終始語っている.これはべき乗則がスケールに対する普遍性を持っており,その背後にフラクタルのようないくら拡大縮小しても構造が変わらないものが存在していると仮定するとうまく説明可能であることに由来している.

本書では,地震の規模と発生頻度,株価の変動,その他生物の絶滅などに至る多くの事柄がべき乗則に従っていることを述べている.本書で取り扱われる議論をそのまま適用すれば,これらの現象を支配する要因にはフラクタル構造が隠れており,それゆえ大地震が発生した理由や,株価が大暴落することには特別な意味があるわけではないことになる.したがって,なぜ人がこれらの現象が起きるのか説明(予測)できないのかといえば,そもそも予測すること自体が不可能な事柄であるからという結論になるのである.

この話は一見,非常に的を得た説明のように感じられる.しかし,本書の最後にある訳者のコメントには,このべき乗則による説明は不十分であるという見解が述べられている.理由としては簡単で,たとえ現象の発生確率がべき乗則ではなく,正規分布に従っている場合でも,平均から大きくハズレた現象が発生することを予想することは困難であるからである.これも確かに正しいように感じられる.

さて,ではどちらの意見のほうが正しいのだろうか.この話を考える際には,おそらく次の2つのことに注意しなければならない.それはある分布からサンプリングすると必ずその分布にそったランダムな値が得られてるということ.またそのことと,予想可能であるかどうかは特に関連がないことである.すなわち,ある現象の発生確率がある分布に従っているとするとき,その情報だけでは,ある瞬間にその現象が起きる可能性は確率的にしか評価できない.したがって,その事実だけではどれほどの大きさで対象となる現象が発生するのか予測することは困難となる.しかし,この予測可能性は,分布のサンプリングだけに着目するのではなく,分布の形に着目すれば,その可否がわかるというのが本書の主題だろう.例えば,正規分布に従っている現象を対象とすれば,正規分布はスケールに対する普遍性を持たないのだから,平均に近い部分に対応する現象と,平均から外れた部分に対応する現象とでは,その発生原因は大きく異なるだろうという予想がたつ.しかし,べき乗則のような分布に従っていた場合には,スケール普遍性により,正規分布に当たるような特定の発生原因(すなわち予兆)を見つけることが困難なので,極端な事象(大地震など)を予想することができないというのが,本書の著者が言いたいことだったのではないだろうか.

しかし,このような説明もあまりに感覚に訴えかけすぎていて,その妥当性がそこまで納得できるものになっていない.結局の所どういうふうに考えればよいのだろうか(誰か教えてください).

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観測者から見た運動

今回はうって変わって物理のお話し。

昔、このあたりについて理解が不足していたせいでよくわからなかった覚えがある。そこでまとめておこうと思った。

我々が物理、特に力学を扱う場合に重要なことは観測者がどのような運動をしているかだ。世の中の大学や高専、高校などでの授業ではどのような扱いを受けているのかよくわからないが、少なからず観測者を意識せずに物理をやることはできない。

観測者の問題が如実に表れてくるのはおそらく相対論にかかわる話を扱うときだろう。しかしここではニュートン力学に絞る。ニュートンの運動方程式とはよく知られているように次式を指す。

$$F=m\frac{d^2x}{dt^2}=m\frac{dv}{dt}$$

この中で$$x$$だとか$$v$$などというのは、観測者に影響される量だ。観測者が座標系を決めているため$$x$$の大きさには違いが出てくるはずだし、$$v$$も観測者の運動の状態で変わるだろう。しかし、観測者が等速直線運動をしているときに限れば、この方程式は不変である。すなわち観測者が一定の速度$$u$$で運動していれば

$$F=m\frac{d^2(x-ut-x’)}{dt^2}=m\frac{d(v-u)}{dt}=m\frac{dv}{dt}$$

である。ただしここで$$x’$$は観測者の初期位置だと思ってほしい。観測者はそこを最初の原点だとみなして観測している。するとこれより、ニュートン力学では等速直線運動による運動の見え方の変化は,運動の本質には無関係であることがわかる.すなわち,今対象としている系全体の速度が定数分変化したところで,結局は運動の状態は変わらないということだ.別の言い方をするとニュートン力学ではその分の自由度*1があるともいえる.これはあたかもエネルギーに定数分の任意性が有ることに似ている.実際これらは無関係ではない.エネルギーの定数分の任意性(これは基準点をどこに選ぶかという話)は,観測者の原点と速度の任意性と直結している*2.

ニュートン力学における等速直線運動にまつわる自由度というのは,ニュートンの運動方程式の形が変化しないというところにその理由がある.逆に言えば運動方程式の形が変化してしまうような場合は,無視することはできない.例えば観測者が円運動を行った場合,円運動では必ず加速度が観測者にかかってしまう.加速度の場合,運動方程式における二次微分というフィルターを通り抜けて,方程式中に最終的に残ってしまうので,等速直線運動の時のような自由度がないことになる.

ニュートン力学において,速度や位置のようなものが方程式に現れてきた時には,それらの変数自身が持つ自由度のせいで,その値自体に重要な意味があることは少ない*3.例えば速度が入ってくる有名なものといえば,運動量保存則が有るだろう.あまり難しいことを考えてもしょうがないので,質点系で考える.今考えている系の中に$$N$$個の質点があり,これらはそれぞれ質量$$m_i$$,速度$$v_i$$を持って運動しているとする.ここに外力が働かなければ

$$\Sigma^{N}_{k=1} m_k v_k(t)=C$$

という関係が成り立つ.ここで変数$$C$$は定数である.この式は一見形式だっていてわかりづらいし,それにそれぞれの速度$$v_i$$を定数分だけ変化させた場合,右辺の$$C$$が変化してしまうことは明らかだ.すると,先程述べた定数分だけの自由度がないように見える.しかし,それはこの式に対する理解が不足しているためにそう見えるだけである.この式の両辺をすべての質点の質量の和で割ることで

$$\frac{\Sigma^{N}_{k=1} m_k v_k(t)}{\Sigma^{N}_{k=1} m_k}=\frac{C}{\Sigma^{N}_{k=1} m_k}$$

ここで,左辺の式を眺めると,これは重心の速度$$V$$と等しいことがわかるので

$$\frac{\Sigma^{N}_{k=1} m_k v_k(t)}{\Sigma^{N}_{k=1} m_k}=\frac{C}{\Sigma^{N}_{k=1} m_k}=V$$

が成り立つ.よって,先ほど定義した定数$$C$$は質点の質量の和を$$M$$とすると,$$MV$$に等しいことがわかる.よって定数$$C$$も,定数と言っておきながら観測者が変化すれば,それに合わせて変化する必要があるということが読み取れる.また以上から,運動量保存則とは外力が働かなければ,重心は等速直線運動をしているはずという当たり前のことを言っているに過ぎない事もわかる.

ニュートン力学では基本的に,運動量保存則以外の場合でも,速度や変位に任意性が有る.これらの任意性が損なわれる珍しい例は,観測者が加速度を受けるような運動を行っている場合くらいだ.そもそも観測者の移動速度や,その変位があくまで等速直線運動の枠を出ないのであれば,それらの情報が運動方程式の中に出て来るというのは基本的にあってはいけない.等速直線運動というのは,観測者が停止している場合も含めていることを考えれば当然だ.

大体において,運動というのは観測者がいて初めて成り立つものだということに注意しなければならない.誰かが観測して初めて速度だとか位置だとかがわかるのだ.我々は地球の上に生きているから,まるで地表に対する速度やら位置が,運動に対する尺度になるような気がしてくるわけだが,例えば真っ暗の宇宙の中に放り出されることを考えてみれば,自分がどっちの方向に進んでいるのかすら,比較物がなければわかりっこないことに気がつく.宇宙は極端な例だが,例えば目隠しされて電車に載せられた場合を考えてみると,それが進んでいるのか止まっているのかは,電車の加減速を体で感じることができるからわかるのである.揺れを感じさせない電車があるとすれば,その中で自分がある瞬間に進んでいるのか止まっているのかを確認するには,窓の外を見て景色のようすを見る以外に方法はない.それに,停止しているように見えている地表だって,実際は自転により高速に回転している.我々は周りと比較する以外には,自分が停止しているのか動いているのかわからないのである.

しかし我々の直感に近く,さらに一見正しいように見えるニュートン力学が,厳密には誤っていることを相対論や,量子力学を通してすでに知っているわけである.従って,ニュートン力学における速度の任意性が崩れ去る場合がある.それがローレンツ力だ.ローレンツ力は電磁気学における力の方程式

$$F=q(E+v\times B)$$

の第二項から来ている.これは例えば磁石をおいて,そこを横切るように電子が移動した場合などに掛かる力だが,磁石に対する相対速度を定義しても,この問題を解決することはできない.これについてあまり詳しいことを書くと相対論の話をしなければならなくなるので,今回は控えるが,その裏にある仕組みはそんなことで解決できるような簡単な話ではない.

この記事で言いたかったことは,ニュートンの運動方程式には速度と変位に任意性が有ること,またそれを意識することでニュートン力学についての理解が深まるということだ.機会があれば,回転系についても触れようかと思っている.

*1 一般に自由度とは,物体が有る制約下にあるとき,制約外にある次元の数を指す.例えば剛体の重心がある回転軸で固定されていれば,その剛体は回転に伴う1次元だけの自由度が有るという.本文中ではこの意味ではなく,物体の運動とは本質的に関係がない任意性のある量という意味で自由度を用いている.従ってここでは自由度と任意性は同等の意味であると受け取ってもらって構わない.

*2 わかりづらいような気がしたので補足する.この話の流れでは一見,等速直線運動している観測者が,突然今までとは異なる方向と速度で,等速直線運動をしなおす場合を説明しているようにも見える.ここで言う,等速直線運動をしている観測者に運動の状態が寄らないというのは,複数の等速直線運動をしている観測者がいた時,どの観測者から見ても運動の本質が変わらないということを言っているのであって,観測者の状態は変わってはいけない.そこだけ注意.当然,観測者の等速直線運動の状態が変わったら,力がかかっているように見えるので,ここでの話はなりたたない.

*3 この表現は誤解を与えそうなので補足しておく.ニュートンの運動方程式では微分が入っているので,速度や変位の変化には意味がある.ここで言いたいのは,値の大きさそのものに深い意味はないということだ.それに2つの物体間での差などを論じる際には,観測者とは無縁なので,その場合では値の大きさに意味が出て来ることに注意.

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